My Life in Ethiopia

青年海外協力隊員としてのエチオピアでの暮らしについて。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

服を選ぶ


 ここでは日常的に伝統衣装を着ている人をよく目にします。
 最も一般的なのがガビと呼ばれる白い布。オーソドックスの人がよく身に着けていますが、白以外の色の巻物の人も多く、バスタオルをガビのように巻いていたりします。
通勤路にて。
P1020774.jpg

 オフィスで働く人はTシャツ、ワイシャツ、ジーパンなどですが、町中などではこのような伝統衣装を着ている人もよく歩いています。
P1050027.jpg

P1050033.jpg

 先日、首都の空港で伝統衣装をまとっている人を見かけました。首都で飛行機に乗る人は西洋人と同じような格好をしている人が多いだけにちょっと目を引きました。
 そして先日、町外れで同じような伝統衣装を着た人を見て思ったこと。
 きっと彼ら・彼女らはこの地で生まれ、育ち、ここで一生を送るのだろうなと。多分テレビもあまり見たことなく、自分が着ている以外の服がこの世界にはあるということ、自分が信じているオーソドックス以外の宗教がこの世界にはあるということ、自分の持っている以外の価値観がこの世界にはあるということ、を知らない、あるいは知っていてもそんなこと気にしてられないくらいの暮らしをしているんだろうなと。

 村落の研修で、「人生の選択肢が増えるのは本当に良い事なのか。後悔が増えるだけかもしれない」という内容があり、それを書き留めたノートを見て先輩隊員が言ったこと。「その考え方自体が上から目線だ」。
でも、本当にそれは上から目線なんだろうか。その研修の内容は、「開発原理主義に陥ってはならない」というもので、自分の立ち位置をしっかり見て、全てを自分でしっかり考えようというものでした。
 自分はこれまで、「選択肢が増える」ことは全ての人にとって良い事だと思っていたと思います。選択肢が増えれば生き方も豊かになる、「これしかできなかった」という悔いもなくなると。
 だけど、選択肢が与えられているようでいて、実は与えられていないという状況は、日本にだって多々あるような気がします。そして、それしか選ぶことができなかったにも関わらず、「自分で選んだのだから文句を言うな」「自己責任だ」と言われてしまう。これはかなりきつい状況だと思います。だからこそ、「ただ選択肢が増えればいいというものではない」ということには納得してしまいます。

 首都の空港で見た伝統衣装の人と、片田舎で見た伝統衣装の人の、その伝統衣装の意味は異なるのではないかと思います。その衣装の人たちと話したわけではないので勝手な想像ですが、前者は自分で選んだ衣装。後者はそれしか選べない衣装。のような気がします。
 たくさんある服の中から何を着るか、たくさんある生き方の中からどれを選ぶか。それを自分で選ぶことができるということはやはり恵まれているのではないか。
 たくさんの服が世の中にはあることを知っていても、結局自分が選ぶことのできる服が一つしかないなら、たくさんの服があるということを知らない方が後悔がない。とも言えます。

 例えば自分が今着ているのはTシャツとGパンだけど、それって自分で選んだんだろうか。着物なんて人生で数えるほどしか着たことなくて、その良さも知らないのに、周りのみんながそうしているから、という理由で西洋的な服を着ているのなら、それは「自分で選んだ」とは言えない気がします。自分で選んだのは、ただ「TシャツとGパン」というカテゴリーの中の、ただの「好みの問題」の範疇。
 伝統衣装の人を見ながら、そんなことを考えました。
スポンサーサイト
  1. 2012/03/22(木) 01:46:52|
  2. 文化・習慣
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<自炊 | ホーム | ガバヤでお買い物>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://mylifeinethiopia.blog.fc2.com/tb.php/38-478a7747
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。