My Life in Ethiopia

青年海外協力隊員としてのエチオピアでの暮らしについて。

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キリマンジャロ!


 2月頭、初の任国外旅行に行ってきました。行先はタンザニア。アフリカ最高峰のキリマンジャロに挑戦です。
 しかし私はエチオピア到着当日、ジャイカ事務所のあるビルの8階まで歩いて上り、目の前が真っ暗になったという経験があり、高山病をとても心配していました(首都アディスアベバの標高は2400m。人によっては空港に降りた途端高山病の症状が出る人もいるらしいのですが、同期9人のうち、8階まで登れなかったのは私だけ)。
 ちなみに任地インジバラの標高は2600m(多分)。富士山6合目くらいだから、暮らしてるだけで高地トレーニングだよ。とは言われていたのですが、ホームステイで初めてインジバラに来たとき、ちょっと離れた所にある学校まで歩いて息切れし、しばらく動けなかったという経験もあり、かつ、一緒に行く9人のうち、7人は24~25歳の体育隊員・・・。
 しかも、標高の高いエチオピアで暮らす隊員で、過去キリマンジャロに登りきれなかったのは、伝説的に運の悪い隊員たった1名だというプレッシャー。
 というわけで、12月くらいからジョギングしてみたりしたのですが。
 結論から言うと、一緒に行った人たちのおかげで、無事登頂は果たしましたが、体力的にきつすぎて、アタックの最後の方半分記憶ありません。

私たちはマチャメルートで登りました。
日程的には(大体)
1日目:1800mのゲートから3000mへ。
2日目;3000mから3800mへ。
3日目;3800mから4200mへ。そしてまた3800mへ。
4日目:3800mから4600mへ。
5日目:4600mから山頂5895mへ。そして3000mへ。
6日目:3000mから1800mへ。

 キリマンジャロに登るには、現在、1255ドルという高いお金を払わなければなりません。この中にはガイドさんとポーターさん料金が含まれているらしく、テントや食料、防寒着など、全て運んでもらえます。なので、自分が運ぶ荷物は最低限のものだけ。なのに私は既に2日目くらいから体力的にきつく、その最低限の荷物さえ若い体育隊員が背負ってくれてました。
 3日目は高度順応ということで、一旦上がってまた下がるのですが、私以外はこの日一旦4600mまで上がりました。きつい人は4200mで下がっていいということだったので、私だけ4200mで降下。
 そしてピークは何と言っても5日目。4日目の夜、19時か20時くらいにテントで寝ますが、風があまりに強く、あまり寝れません。なのに23時に起きてビスケットと紅茶を摂取し、24時、出発です。
 真っ暗な中、みんな頭にヘッドライトを装着してガイドの歩みに合わせてゆっくりゆっくり進みます。ものすごくゆっくりなのに息切れ。しかも不調だった私のヘッドライド、すぐに使えなくなり、足元真っ暗。そして1時間毎に休憩入れるからというガイドの説明、何だったんだってくらい休憩がない。(強風や息切れの度に立ち止まる私のせいで予定より遅れていたのかも)
 人に借りたヒートテック2枚着て、長袖Tシャツ、人に借りたフリース、ジャージ、人に借りたカッパ、人に借りたダウンジャケット、ウインドブレーカーを着こんでもまだ寒い。
 そして気付いたら夜明け。気付いたら山頂。と思ったらこれがフェイクの山頂で、一旦「congratulations!」の看板があり、本当の山頂は、そこからさらに1時間ほど歩いたところにあるのです。既にバテバテの私は本当の山頂まで、ガイドさんに腕を組まれて歩きました。
 山頂では記念写真のほか、何する?歌うたう?など、前日にみんなで話してましたが、私以外の人も相当きつかったらしく、記念写真撮って、すぐに撤収しました。
 しかし本当にきついのが山頂からの下り!7時間半かけて登った道を約半分の時間で滑り降ります。ものすごい砂地を、スキーのように滑り下りるのですが、私はこの時もガイドさんに腕を組まれてもう引きずられるまま。砂埃半端ない。全てが砂まみれ。
 登っている間中鼻水が出ていたため、日焼け止めを塗り直したいがその気力もなく、日が出た後は太陽がまぶしいからサングラスをかけたいがその気力もなく。
 お昼までに前日のテント4600mまで戻って着替えとランチ。そこからさらに3000mまで下ります。午後は3時間くらい歩くということでしたが、歩けども歩けどもキャンプ地が見えて来ない。結局夕暮れ近くになってようやくテントに着きました。下りは、呼吸は楽ですが、つま先が痛い。
 次の日、痛むつま先にテーピングをしてまた朝から歩く。後で見たら足の親指の爪は紫色になってました。この日のお昼にようやくゲートについて、登頂証明書をもらい、キリマン登山は無事終了しました。
 誰一人脱落せず、ケガもなく事故もなく、本当によかった。
 とはいえ、私が脱落しなかったのは、一緒に登った人たちのおかげ以外の何ものでもなく。荷物を持ってくれたり、後ろから押してくれたり、後ろから照らしてくれたり、みんなのために音楽かけてくれたり、みんなのためにお菓子配ってくれたり。本当に頭が下がります。

 そしてさっきも書きましたが、私たちの荷物は必要最低限以外全てポーターが運んでくれます。登山者1人につき、3人のポーターを雇います。そのポーターが私たちの荷物を持ち、テントを運搬・設置・撤収し、コックが私たちのご飯を作ってくれ、ガイドが私たちを先導してくれます。
 私が荷物も持たず(持てず)必死で登るその道を、背中と頭に大荷物を載せたポーターがすいすい登って行きます。
 ・・・キリマンに登るって、どういうことなんだろう。
と考えさせられました。確かに私たちは彼らにお金を払います(登山料金のうち、いくらがガイドやポーターに払われるのかはわかりません。また、それ以外にもかなりの額のチップを払います)。だけど、一番大変なことを全部やってもらって、キリマンジャロに登れたからって、少なくとも私は全然すごくないなと思いました。なんだかうまく書けませんが。
 キリマンジャロでは毎年何十人も亡くなります。実際、私たちが登っている時も、嘔吐している人や、アタックを諦めて下山している人を何人も見ました。高山病で亡くなる人の中には、ガイドやポーターも含まれるそうです。タンザニアにおいて、少なくともガイドはそこそこのお金をもらえるようです。が、それはやはり危険と隣り合わせだからなのでしょう。私にとってはキリマン登山はレジャーですが、彼らにとっては、それ以外に仕事がないのかもしれません。リッチな外国人が登るから雇用がある、という風にも考えられますが・・・。

 ちなみに、体力的な問題から、登山中の写真はほとんどありません。後でみんなでシェアしようということになってたので、私は写真は諦めました。

キリマンジャロの麓の町。小さな竜巻が多数発生。
P1040387.jpg

ゲート付近のポーターたち。手前に写ってるような荷物を頭に乗せて登る。ものすごいバランス力。
P1040351.jpg

ガイドとアシスタントガイド。アシスタントガイドの頭に乗ってるのが私たちのための卵。ガスコンロなども運んでくれるので、毎回温かい食事をとることができます。おやつも出てきます。高山病予防には水分補給がよいらしく、お茶類もたっぷり出てきます。
P1040355.jpg

こんな感じのテントに5泊。2人一組で寝る。
P1040359.jpg

3日目の宿泊地から山頂を望む。これ以後、下山するまで一切写真を撮っていない・・・。
P1040360.jpg

下山直後。町の様子。
P1040372.jpg

P1040374.jpg

キリマンジャロの麓、モシにて。分かりにくいけど銅像みたいなものの下に”Water is Life”と書いてある。ちなみに「水」はスワヒリ語では「マジ」と言うらしい。
P1040379.jpg

※後日談。キリマン登山には私たちが登ったマチャメルート以外にもいくつかルートがあるらしく、マチャメルートの5泊6日というのは、かなりきついコースのようです。
 その後のエチオピア隊員はテント泊ではなく、山小屋に泊まるコース(通称コカコーラルート。実際にはないがコカコーラの自販機があると言われるくらい楽なコースらしい。)で登って結構楽勝だったようです。

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  1. 2012/02/25(土) 01:39:27|
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