My Life in Ethiopia

青年海外協力隊員としてのエチオピアでの暮らしについて。

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同僚のお葬式


 ファシカ(イースター)前でお休みを取っている同僚も多い5月2日、配属先の秘書の人がやって来ていきなり「明日お葬式だよ」と告げました。誰が亡くなったのかなーと思っていたら、なんと配属先の同僚が亡くなったとか。彼は2週間くらい前から、アジスアベバに行くとかで休暇を取っていたのですが、色んな人の話を総合すると、多分病気のため実家で療養していたのだがそのまま亡くなったのではないかと推測されます。誰に聞いても死因は不明で、「事故?」と聞いてもそうだと言うし、「病気?」と聞いてもそうだと言われます。でも2週間くらい前に休暇に入った後に、多分同僚が「病気だからアジスアベバに治療に行くんだ」と言っていた気がします。とはいえ、元から静かな人であったこともあり、病気のような感じもなかったので、あまり気にしていませんでした。ですが近くの町の実家で葬儀ということはきっと、お金があればアジスアベバの病院に行けたのかもしれないけれど、実家で様子を見ているうちに病気が悪化したのではないかと。全て推測ですが。
 葬儀場がインジバラではなく、バスで1時間ほどのドルベテという町で行われるため、「ドルベテのどこで?何時から?」と色んな人に聞いたのですがよく分からず、結局就業時間が終わる前に教えてもらえたのが「明日朝6時にここに来い」でした。なので朝6時に配属先に行ってみたところ、一人しか来てない・・・一人でもいたのが奇跡のようですが。その後バラバラと人が集まり始め、しかし向こうの方に行って何やらしているようだったので、一体何をしているのかと思っていたら、葬儀場に立て掛けるらしきメッセージボードを作っていました。10人ほどで。私には手伝えることもなく、ただぼーっと待つ。その後7時くらいにようやく、配属先のトップを乗せた車がやってきました。が、葬儀に行く同僚が計13人。どう考えても1台の車に乗れるわけはなく、どうやらもう一台を呼ぶ。もう一台の車が来たのが7時半。13人が2台の車に無理やり乗りこみ、ガソリンを入れてから、インジバラを出たのが7時45分でした。5時半に起きた意味、どこにもないし。
 しかもいくら同僚の葬儀とはいえ、配属先の車をそんなことに使っていいのだろうかという疑問。そして、1台目が2台目を待っている間、ずーっとかけっぱなしのエンジン。こちらの人はよく、フィールドに行けないのは車がないからだ、ガソリンがないからだと言いますが、そういう無駄遣いをしてるからでしょう。と思う。
 ともあれ、8時半頃、彼の実家の近くらしき空地で行われている葬儀場に着く。と、さっきまで談笑していた同僚が突然彼の写真を掲げて涙を流し、叫びながら走り出しました。なんか演技臭い・・・・・・。とはいえ、葬儀は悲しみに包まれたもので、ご遺族が、彼が着ていた服をまとい、泣き、叫び、踊る様子はやはりこちらの涙を誘います。
 と思う一方、やはり私はその「泣いたり叫んだり踊ったり」する様子が興味深いです。エチオピア人の悲しみの表現方法は、一体どういう過程でこのような形に落ち着いたんだろうと思うと不思議です。私には笑っているようにしか聞こえない叫びや、なぜそういう踊りをするんだろうという踊りなど(踊りというより体の動きですが)。
 しばらくその場で悲しむ遺族と共に過ごし、遺体と共に全員で移動します。ちょっと行った場所の広場で同じように悲しみを表現する遺族を囲み、また移動。ということを2,3回繰り返したのち、11時頃、教会に着きました。遺体を教会の庭に置いたら、多くの人と共に私たちも撤収でした。それ以後は遺族だけで行われるものと思います。
 参列者は多分400人ほど。たくさんの人がいました。亡くなった彼は推定20代半ば。遺族が掲げている写真の一つは大学の卒業式のもので、悲しみもさることながら、大学まで出した子どもが亡くなるのは、経済的にも苦しいのではないかと思われます。また、彼のおばあさんらしき人もいて、彼女からしたら、まだまだ若い孫が亡くなるなんて耐えがたい苦しみなのではないと。
 しかしエチオピアでは、「年齢にかかわらず、私たちはいつか必ず死ぬ」という事実が身近に感じられます。そもそも医療機関が少なく、お金もかかるため、日本では助かる病気でも、亡くなってしまうのだと思います。また車の運転マナーも決して良くはないため、事故もよくあります。そういうことがないようにエチオピア正教徒は熱心に祈っているらしいのですが、じゃあそれでも亡くなってしまうということは一体何なんだ。神への祈りが足りなかったのか?神に愛されてなかったのか?不謹慎な私はそう思わずにいられない。
 今回亡くなったのが「友人の家族」ではなく、「まだ若い同僚本人」だったため、いつも以上に色々考えさせられました。

手作りメッセージボード。この台紙に、哀悼の意を表す文章を貼りつけていました。
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途中の広場にて
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教会にて
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  1. 2013/05/09(木) 15:54:20|
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エチオピアの田舎町


 私の任地、インジバラも田舎町と言えば田舎町なのですが、国道沿いにあることもあり、県庁所在地だし、それなりの町ではあります(街ではないけど)。
 エチオピアのジャイカボランティアは全員、この程度の町に派遣されています。(エチオピアの隊員はざっくりと、首都、南部、北部に分けることができ、首都隊員が半数くらいを占める。)私のいる町は最も田舎と言っても過言ではないくらい。
 一方、ピースコー(アメリカ版協力隊)の人たちは、国道沿いではないさらに田舎町にも派遣されています。その一つが、インジバラからバスで30分ほど行ったところの、グンジャベットという町。そのグンジャベットに行ってきました。
 国道から折れ、未舗装道路を進むこと20分ほど。砂埃の中、町に降り立つと、インジバラに比べたら田舎感満載。郵便局だってこんな感じ!
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 でも一応ホテルやレストランはありました。こんな感じ。
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 ガソリンスタンドも、アフリカの田舎って感じで鄙びてます。
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ロータリー
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バス乗り場
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 そこからさらに行くと、名前も知らない町ですが、昼食をとる場所さえないという田舎町!これがこの町の郵便局。
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私がエチオピアに来る前にイメージしてたのはこんな感じかも。グーグルアースで見た時こんな感じだったしな・・・なのにいつの間にかインジバラはファッションストリートまである都会になっていたのでした。

はい。これです。ファッションストリートです。え?どこがファッションストリートなの?という批判は受け付けません。
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インジバラの郵便局
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  1. 2013/05/02(木) 22:42:15|
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アディダスの偽物


 エチオピアでも有名なadidas。エチオピアのスポーツ選手がよく着ているエチオピアジャージもadidas製です。
この写真に写っている5人のうち4人は体育教師で、全員エチオピアジャージ着用(そのうち1人はズボンだけですが)。エチオピアの体育教師には無料で提供されているらしいです。
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 で、エチオピアの首都がaddis ababa(アディスアベバ)。となるとadidasのまがい物がたくさんあるのは当然と言うべきか。
 adidasのマークによく似たマークに「addis」「abidas」などなど書いてます。エチオピアで見るせいか結構ユニークに感じる。
 かといってadidasが人気なのかというと、その辺はよく分からず、なぜか民家にナイキのマークらしきものが書いてあったり、Nの字を逆にしたニューバランスの偽物らしきスニーカーの人もたくさんいます。

Abebaジャージ
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Abibasジャージ
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ナイキのマーク?
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  1. 2013/02/20(水) 02:59:44|
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ドミ


 今日はエチオピア隊員のドミトリー(隊員連絡所)を紹介してみたいと思います。 ドミトリーは、新隊員がエチオピアに到着後、2カ月弱にも及ぶ現地訓練(語学や諸々のオリエンテーション)の際に宿泊する所であり、その後、任地に赴任してからも、公務で首都に上がる際の宿泊先であり、帰国前1週間ほどのオリエンテーションや離任のご挨拶などの際の宿泊先であり、また、帰国隊員の送別会などの開催場所にもなります。
 ドミと言っても、普通の家です。それなりにお金持ちの広い家で、1階に15畳くらいのサロンと6畳くらいのダイニングルーム、PC部屋、2段ベッドが3つ置いてある部屋、2つ置いてある部屋とシャワーが1つ、トイレが2つ、そして物置。2階には、2段ベッドが3つ置いてある部屋と、2つ置いてある部屋、1つ置いてある部屋、そしてシャワーが1つとトイレが1つずつあります。

サロンです。本がたくさん置いてあります。
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トイレとシャワー。浴槽がありますが、お風呂としては使えません。シャワーもチョロチョロとしか出ませんでした。でも、お湯が出るだけありがたい。
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 私たち23年度1次隊がエチオピアに来た頃は、こういう部屋に泊まっていました。同期は女子6人、男子3人のため、女子は6人部屋に、男子は4人部屋に。
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 新隊員時代のこの共同生活は、なかなか辛いものがありました。私たちは大阪での訓練中も、個人部屋(トイレ、お風呂付き)に宿泊していたため、集団生活の中でもプライベートな時間と空間がありましたが、エチオピアに来た途端、昼も夜も、一日中同期と過ごすわけです。もちろん、みんないい人たちなのですが、ずーっと一緒というのは、大人にとっては厳しいものがあります。
 しかも、私たちがドミにいた6月下旬から8月中旬は、エチオピアの学校は雨季休みのため、地方の学校隊員がドミにいることが多く、ドミは常に満員状態。出が悪いシャワーも、2層式洗濯機も常に順番待ち。
 来てすぐの私たちは語学訓練のため、毎日のように宿題が出ていたのですが、サロンは先輩隊員の懇親の場であり、また、照明が暗かったため、私はいつも台所で勉強していました。こんな感じ。
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ベッドのある部屋もとても暗いので勉強なんてできる環境ではなかったです。

 その約半年後、ドミとして使用している建物が立ち退きにあったのか、家主が税金を払えなくなったとかで、ドミが引っ越すことになりました。
 新しいドミは3階建てで、勉強部屋もでき、トイレの数も増え、なかなか良い感じです。ただ、大通りからちょっと入ったところにあるため、ジャイカ事務所に行くのも、スーパーマーケットに行くのも遠くなりました。しかも、この大通り(ボレ通り)がここしばらく工事中で、ものすごい渋滞を引き起こしています。常に水漏れしている箇所もあり(道路が川状態)、歩くのも大変。道路工事とはいえかなり大がかりで、一体いつになったら終わることやら。あと何年もかかるんじゃないかという気もします。

 ちなみに私は任国外旅行などで、ウガンダ、ザンビア、ケニアのドミを見ましたが、いずれもエチオピアのドミよりも立派。特にザンビアのドミは他国隊員もかなりの低料金で宿泊可能であるにもかかわらず、全自動の洗濯機が何台もあったり、電子レンジが普通に置いてあったりと驚きのクオリティでした。派遣国によって状況が違うということは理解しているつもりですが、実際にその状況を目の当たりにすると・・・。上を見たらきりがないと言わざるを得ません。
  1. 2013/02/02(土) 02:20:13|
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白い赤ちゃん


 先日、竹炭プロジェクトの見学に行った際に、白い赤ちゃんを見ました。
 「エチオピア人の赤ん坊は白い」という話は聞いていたのですが、今までに見た赤ん坊は、かなり薄い色ではあるものの、「白」とは言い難い。「白い」っていうのは言い過ぎだろう。と思っていたら、本当に白かったです。私よりも白いくらい。

 写真を撮らせてもらいましたが、写真で見ると、あまり白くないです。でも授乳中のお母さんの手と比べたら、その白さが分かるかと。
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 でも、2,3歳の子は既に白くない。たったの2、3年でそんなに日焼けするのってすごいと思いますが。この強烈な紫外線の元で、日焼けなんて全く気にせず過ごしていたら日焼けしまくりだと思いますが。それにしても、別に裸で過ごしているわけでもないのに、全身日焼け。
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 町の女性は日焼けを嫌がって結構日傘を差してます。村落部の人たちも日傘は差してましたが、どっちかって言うと暑さをしのぐためのような感じも。
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  1. 2012/12/02(日) 02:45:10|
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